あけましておめでとうございます。
新年にあたり、天真剣について思うところをシェアできることを、うれしく思います。
人生の哲学や、世界を変えたいという願いに関係することがたくさんあります。しかしいつも通り、技術的なことからはじめたいと思います。
天真剣の稽古と真の自分の探求
ご存じのとおり、新体道の斬り下ろしの組手には多くの種類の型がありますが、これらの型のなかでも、天真剣では、大上段斬り下ろしでたがいに相手を斬り割って中心に迫り続けることにより身心の力みを取り払い、「自我」で凝り固まった自分自身を打ち砕いて、彼我同時に「無我」に至るプロセスです。
闘争の果ての融和と、 1+1=1を学ぶプロセスと言えます。
芭蕉の俳句で、「閑かさや岩にしみいる蝉の声」というものがあります。
静寂が岩すらも満たし、そして蝉の声が・・・
ほとんどの日本人はこの俳句を読んで、うつくしい夏の日を思い浮かべます。
しかし、フランスでの私の生徒、Philippe Beauvoisはこの句にまったく違う解釈を与えました。
閑かさ=完璧なる静寂、雑音/雑念の無い世界、余分なもの/考え方を削ぎ落とした時
岩=自我に凝り固まった我
蝉の声=大自然/天真からのメッセージ
まとめると次のようになります。
「静寂はさわがしい思考を鎮め、不必要なものごとは脱落する。そして、とうとう私のエゴは沈黙した。聞こえるだろうか?宇宙が語っている。」
恵まれた場所から離れることについて
楽天会には岡田兄弟がいた。楽天会の創立メンバーであり、道守となった岡田満のことはみな知っているだろう。しかし、楽天会の主要メンバーであったその弟、岡田巌のことは知らない人も多いのではないか。
私は、新体道の使徒として日本から出発する以前の1970年代、東京で新体道の本部の運営を行っていた。新宿の小さな事務所で、巌さん(当時、彼は皆に「がんさん」と呼ばれていた)は人間関係の面で事務所の運営をたいへんに助けてくれた。
兄同様、巌さんはタクシーの運転手をやって生計をたて、仕事の空き時間、ほとんどの人は食事や休息、睡眠にあてたいと思う時間をさいて事務所にきてくれた。経理や運営といったビジネスのスキルにはあかるくなかったが、すばらしい人間関係をつくってくれた。
巌さんは本当に心がひろく、ほとんどの人が考えないことに心をくばっていた。裏社会で売春に従事させられている女性のことに関心を持ち、新体道ホールでシングルマザーが一人で子どもを生むドキュメンタリーを流したりした。熱心に活動しすぎて日本の公安警察に目をつけられたほどだった。
われわれはみな若く、ほとんどのメンバーはただ武道に夢中だった。からだを動かすのが好きで、稽古から受ける感覚が好きだったが、武道の稽古と心を真にむずびつけることはできていなかった。しかし、巌さんはすでに深いレベルでなぜ新体道を稽古するかを理解していた。
巌さんはシンガーソングライターの岡林信康の歌「私たちの望むものは!」が好きだった。
私たちの望むものは、今ある「不幸せ」ではなく、
私たちの望む者は、未だ見ぬ「幸せ」である!
いまある「不幸せ」に留まってはならない。
未だ見ぬ「幸せ」に向かっていま飛び立とう!
岡林は身体障害者のために働いており、スラム街の医師と言われてもおかしくない存在だった。しばらくして有名になるとお金のある人たちが彼のコンサートにくるようになった。すると彼は上記の歌のメッセージをひっくり返し、富や名声にとらわれることなく、ハンディキャップのある人たちの世界に入って行くようにと歌った。
巌さんは岡林の歌と同じような感覚を持っていた。楽天会ではいつもメンバーに恵まれた場所からでて、つらい時間をすごしている人たちと生きるようにうながした。当時はもちろん誰もお金を持っていなかったが、われわれは健康で稽古に熱中していた。ほとんどのメンバーは青木先生のまわりにいることを望んでいて、外の世界を救いにいこうとはしなかった。巌さんはしばしば、いら立っていたものだ。
私が米国に出発したあと、巌さんは愛知の実家に帰った。名古屋が愛知で一番の都会だが、巌さんがいたのはずっと田舎の方だった。タクシーで生計をたてながら、デイケアセンターをはじめて、精神的、肉体的に障害のある若者の世話をした。
これが35年前の話だ。彼はそれ以来人びとを助けることを続け、今は愛知でもっとも成功した養護施設の長になっている。彼はハンディキャップのある、顧みられることのない人びとを助けるという夢を体現し、人生でそれをなしとげたのだ。
現時点での天真剣の理解
端的に言って、天真剣の精神はイタリアの言葉「ベラ・チャオBella Ciao!」で表現される。これは人生への深い情熱をあらわしている。
Nathalie CardoneのThe Hasta Siempre のミュージックビデオは、周囲の人びとを力づけるという私の情熱と同じものを見事に表現している。ビデオのなかで、乳飲み子をだいてライフルを背負った母親が南アメリカの小さな村のストリートを抜け、外へ歩き出すシーンがある。彼女が希望のない、そのうちいく人かは畑で奴隷労働をしている人びとのあいだを歩きぬけると、彼らは道具をおいて彼女と一緒に歩きはじめる。
最近、私は武士道のもともとの精神について、熱心に取り組んでいる。それは武術の核心であり、私のライフワークの中心といえる。みなさんの多くが学んだ武道は武術的な技術だが、武士道はずっと奥の深いものだ。
新体道を開発するとき、青木先生は武術から魅力的な装飾をはぎとり、同時に武士道との関連も取り去った。それは日本の当時の状況、軍部が軍の文化を強化するために武道を使おうとしていたこと、がその理由だった。
そのため、青木先生は純粋に型と動きを(その文脈から切り離して)教えた。
新体道の哲学は、開くこと、取り除くこと、新たなものを見つけること、の周囲に発展した。現在、われわれには、どうやって「稽古の表面をはぎとり(脱構築して)自分自身のかたちと本質をみつければいいか」という問いが残されている。
私にとっては、武士道とは他者のために生と死のきわに立つことを意味する。より恵まれていない人びとのために立ち上がる勇気が必要である。われわれが立ち上がることで、彼らが彼ら自身のために立ち上がるだろう。それには二つのステップが必要だ。1)自分の本質を見つけ、強さとインスピレーションを得ること。2) 他人がそうすることを助けること。
新体道では、天真剣は切り下ろしの組手に変化した。この稽古でわれわれは大きな洞察を得ることができる。自分自身のエゴを手ばなし、自分自身を超えるためには激しい努力をするが、しかし、その次の段階にすすめなければ自己中心的な悟りになりかねない。最初の段階でつまづけば、上記のミュージックビデオにでていたような人を勇気づけるメッセージを見逃し、真に自由に、人と融合する機会を逃すことになるだろう。立ち上がって、ビデオの人びとのようにフェアでない状況に対して「ノー」と言うとき、その人は個人的なリスクや損失によって考えを限定されていない。勇気とともに真の自分が姿をあらわすが、それらはエゴや自我よりも大きなものなのだ。
天真剣のもともとのメッセージは、本当に弱かったり、不公平な状況にある誰かが、天(宇宙の真実)とつながるという能力であり、彼ら自身を表現し、その人生を変えるということだ。私の希望は天真剣のもともとのメッセージをもう一度武士道に注ぎ込むことである。
このためには、気持ちのよい恵まれた生活から一歩踏み出し、より恵まれない人びとに手をさしのべる(第二段階にすすむ)必要がある。問題は「どうしたら彼らが声をとりもどし、自らのために立ち上がる場所をつくれるか」だ。
岡田巌さんは、なぜ青木先生に学んでいるかについて、とてもはっきりした考えを持っており、それは社会正義の感覚を磨くためだった。新体道の価値感と稽古を自らに取り入れ、それを社会正義運動に翻訳した。我々は新体道で学んだことを世界をよりよくする活動へと翻訳する道を見つける必要がある。
武士道のもともとの精神を再発見できれることを希望している。
この2015年、新たな勇気と希望の世界をともに過ごすことを楽しみにしている。
伊東不学
2015年1月1日
P.S.
英語でのメッセージ作成を助けてくれたリー・シーマンとトミ ナガイーローテ、フランス語を助けてくれたパトリックに感謝します。
上記日本語は英語のメッセージからの翻訳です。
翻訳の内容については飯田宗一郎の責任です。