死をみつめる

 一九九六年五月十三日午後四時四十分ごろ、ビル・ピーターソンは、私の腕の中で死んだ。

 私がサンフランシスコの彼のアパートメントに着いたのは、午後四時半ごろだった。そこには、彼の母のキャサリン、彼の終生の親友であったジョン、そしてサンフランシスコで彼が初めて友人になったロンがいた。彼らは数日間にわたって昼夜休みなしに看病を続けたことで、完全に疲れ果てているようだった。ビルはエイズの末期状態で、意識をなくしたり取り戻したりしていた。彼の内臓のほとんどは機能しなくなっていた。ジョンはビルの呼吸がラクになるように彼を両腕の中に抱いていた。私には、ビルがいまにも去ろうとしていることが明らかだった。
 彼の母にかんたんに見舞いを述べた後、私はビルの寝室の中へ行き、そこでジョンと目と目であいさつを交わした。ジョンとはそれまで会ったことはなかったが、私には昔からの知人のように感じられた。ジョンの心は矛盾のために苦悩しているようだった。ビルを失いたくはないけれども、また、このまま彼に苦しみ続けられるのもつらい。彼は私に言った。「もうすぐホスピス・ナースがやってくるはずだ」
 私の心にもまた苦悩がやってきた。私は彼を救うことができるだろうか? いったいどのようにして? 私にはホスピス・ナースとしての心得などない。ほんの少しも私の手を貸すことなく、彼らを見守りつづけるしかないだろう。……いや、そうではない! たった今、ビルは私を必要としているではないか。ジョンもまた休みをとる必要がある。そして私は、ごく自然にジョンの役割を引き継ぎ、ビルを私の両腕に抱きはじめた。
 彼を両腕の中にかかえると、すぐに私は心の中で彼に語りはじめた。「ビル、いっしょに瞑想しよう。肩の力を抜いて首の緊張をほぐそう。きみの“真の”自己は、いのちが無限だということを知っている。きみは、もと来たところへ今にも帰ろうとしているのだ。体から離れるのを恐れるんじやない。きみ自身を行かせるんだ……きみ自身を行かせるんだ……きみ自身を行かせ
るんだ!」私が三回くり返すと、ビルが体の緊張をすべて解放したのが感じられた。私はビルが天真五相の最後のウン……この一生の最後のウンをしているんだということに気がついた。
 『チベットの死者の書』によれば、人が死ぬと魂は元の来たところへ帰っていくものと考えられている。しかしながら、ときには過去の人生のカルマによって引き起こされるさまざまな誘惑によって、途中にとどめられてしまう。そこで四十九日間かけて魂がどこへ行くかを決め、もし誘惑に縛られて悪い結論が出てしまうと、彼は決して元来たところへ帰ることはできないのだという。
 ビルが生前こうしたことについてどのくらい興味があったか私は知らない。ただ、ビルの魂がどんなトラブルにも巻き込まれないように願っただけだ。あの時、ビルが天真五相や栄光の稽古を充分に積んでいたことを知って私は実に幸せだった。私は再び彼につぶやきはじめた。「ビル! きみはちょうど天真五相(大)をやり終わった。オーケー! 今度は栄光(大)をやろう。はじめはやわらかく自分白身を開放して外に伸びていこう。視線を前方遠くへ向けて、周りに気を散らしてはいけない。力強く、すき通った、明るい光が見える地平線を見つづけよう、用意はいいか? ……始め! 走れ走れ! 速く、もっと速く! 拳を開きつづけて腕を仲ばせ! 証光は天相だ! 天相は証光だ!」
 五時ごろ、ホスビス・ナースが到着して私はビルとの瞑想をやめた。私の役目が終わったのだった。すでに私はまったく悲しくなかった。実際のところ、楽しささえ感じていた。正確にいえば、それはちょうど素晴らしい稽古をした後のようだった。私は幸せだった。ビルはもう今は苦しんではいない。
 しばらくしてロウ・メイヤー、デブラ・ブッディ、デブラの息子のグリフィンがやってきた。ジョンとロウはナースを手伝い、ビルの身体をきれいにして新しい服を着せた。ロウとデブラが天真五和の号令を頼むのでもう一度行った。今度はロウとデブラとの天真五相なのだった。
 私がビルのアパートメントを出だのは午後五時牛ごろだった。

 ビル・ピーターソンは一九八八年から一九九二年まで新体道を稽古した。一時期はベイエリア新体道で精力的に活動して主要なメンバーとなり、ドロレス・ストリートの道場を意欲的に経営した。『S of A’s news1etter』(アメリカ新体道の機関誌)の読者は、Pacific ’90(九十年に開かれたアメリカ新体道の大会)での先生付きの体験についての彼の記事を思い出すだろう。
 ビルはとても率直で頑固だった。彼が心楽しいときは気前が良いように見えた。ほとんど気前が良過ぎるくらいだった。結果的には、みんなが自分を利用しているのだと感じはじめ、ついには怒りだした。そして怒ったとき、彼はいじわるを言い出した。必要なら彼はとてもいじわるになることができるのだった。明らかに彼は自分の欲求不満を表すためにトラブルを捜し求めていた。私にとって彼は、大人のDenis The Menisのように思えた! それはともかく、中世暗黒時代のヨーロッパの充分に評価されない愛すべき芸術家を思わせる彼のキャラクターを、私はいつも楽しんだ。
 ビルは『フラミング・ドラゴン』という額縁店をミル・バレーで聞いていた。それは中流階級のアメリカ人の多いこのタウンで、彼の仕事を発展させるという並々ならない時間をビルに与えただろうと私は信じている。しかし、風変わりな性格の影に隠れた彼の才能をいったん見つけた客は、長く彼の店をひいきにした。彼らのタウンに、優秀な愛すべき熟練工をもつことはとても重宝なことだった。
 Mt. Tamalpaisにある私のパワースポットからの帰り道、私はしばしばひょいと彼の店に顔を出すことがあった。とりわけタウン外からの客を連れていった時などには、彼を不意に訪問するのが私のいつもの楽しみだった。この訪問は、彼が新体道の稽古をやめてからも私たちのつきあいをよく保った。

 一九九五年は、私にとって瞬く間に過ぎていった。新体道やその他の仕事のため、日本へ四回、カナダヘ三回、そしてヨーロッパヘ二回旅行し、新体道を教えるかたわら、新しい趣味もまた私をたいへん忙しくさせた。いや実際、私の新しい趣味であるダイビングとゴルフは、習慣だったMt. Tamalpaisでの瞑想とフラミング・ドラゴンから私を遠ざけてしまった。
 今年のはじめに、ビル・ピーターソンがエイズに感染し、彼の体調が急速におとろえているという悪い知らせをもらった。四月になると、現在東京で新体道を稽古しているリー・オーデマンから不意の電話を受けた。最初、私は彼が日本から電話しているのだと思っていたが、話すうちに、ビルに会うためにタウンに来ているのだと気づいた。「国際合宿に参加するため、七月にサンフランシスコに戻ろうと計画していたが、ひょっとしたらその時までにビルがこの惑星から去ってしまうかもしれない」と彼は言った。そこで特別に今回の短期旅行を計画し、ビルのガレージ・セールの準備を手伝っていたのだった。なんて素晴らしい友情だろう!
 ビルは彼の個人的な品々を売るガレージ・セールを、四月六日土曜日に予定していた。幸いなことに、そのころの私はアメリカにいた。午前十一時ごろフラミング・ドラゴンに着くと、新体道メンバーの一団がすでに集まっていてビルを囲んでいた。私はビルとは十四ヶ月もの間会っていなかったので彼の最初の一言を聞くのが怖かったが、幸運にも彼はきげんが良かった。きげんが良いどころでなく、つねに微笑みをたたえ、怒ることがなかった。彼はとてもおだやかで、より自然のままに見えた。健康だった数年前よりも彼の顔はもっと良く見えた! 彼は肉体を病んだけれども、精神と魂を練り上げることができたのではないだろうか。もはや大人のDenis The Menisではなく、充分に人生の稽古を積み、良い顔だちをした愛すべき人物がそこにはいた。彼は新しいビルだった。
 新しい“ビル”は、人々の話を聞いてあげることができ、その上、自分の話を聞いてもらう必要はなかった。人々を愛することができ、その上、人々から愛されることに必死ではなかった。彼はやわらかく、そして開かれているから“恕す”ことができる。私は彼に長い間、新体道を通してこの段階に達して欲しかった。彼は痛みを体にもったが、心にはもう何もないことが明らかだった。もし許されるなら、彼の体が感染したことを私はほとんど感謝しているというだろう。神はこの恐ろしい病気を通して、本当に必要なものを彼に与え、彼を去らせた。

 一九九二年、イギリスのブライトンで聞かれたShintaido Forum(第五回国際大会)で、最後の稽古のとき、私たちは癌で死んだフランスの大好きな新体道仲間の一人のために祈った。指導員稽古の号令をかけてくれと頼まれたとき、私はかんたんに新体道の発声法を黒沢映画の『赤ひげ』の一シーンのようにアレンジした。指導員たち全員が二つのグループに分かれてお互いに向かい合い、一方のグループが「Marion !」(友人の名前)と叫び、もう一方のグループは同時に「Genki !」と叫んだ。
 あのとき、マリオンがまだ生きているのか、すでに死んでしまったのか、私たちにはわからなかった。ただ、私たちが空間と時間を超えていっしょにいることを彼女の魂に知ってもらいたかった。また、この名前は世界中のいわれなく病んでいるすべての人を意味していると思うように、指導員全員に私は頼んだ。そう、私は彼らに、彼女の名前を呼ぶことによって、困難な状況にあるすべての人々に激励を送ってもらいたかった。
 四年前に私たちがマリオンを失ってから、いかに死ぬか、いかに人々が優雅に死ぬのを助けるか、死について私は勉強をはじめた。カリフォルニアのケア・ギバーたち(ホスピスで介護をする人々)に新体道の瞑想法を教えるようになってからは、とりわけそれは私の義務になった。しきりに私は、死の管理方法についての私の理解を提供することを望んだ。私はこれまで何人かの人々を見送っていたが、まさに死の瞬間に天真五相と栄光を使うことについて考えたことがなかった。
 ビル! たいへんありがとう。きみとのあの瞬間をともにする一つのチャンスをくれた。これから先、私にとって天真五相と栄光は私のスートラになるだろう。私たちの組手は素晴らしかったではないか! きみは私に新体道葬(天への出発の祝典)の良いヒントを与えてくれた。素晴らしい“額縁作品”だ。

Shin Shin Datsu Raku Ten Ga lchi Nyo !
Shin Shin Datsu Raku Ten Ga lchi Nyo !

体と心が完全にくつろぎ解放されるとき、あなたは天(神)の中におり、天(神)はあなたの中にいる。(身心脱落、天我一如)

 親愛なるビル! きみはこの惑星で良い修行をした。よく眠れ! あるいはジーザスとブッダの先生付きをして、またもめごとを起こしているのかい? きみがはじめに仕えるのはどちらにするつもりなんだ?

 終わりに
 一九九六年六月三十日、ビル・ピーターソンが去ってから四十九日目、ビルの遺灰をまくため、Mt. Tamalpaisの私のパワースポットに友人たちが集まった。その日は青い満月が出ていた。私はチベットの鈴を鳴らし般若心経を唱えながらセレモニーをはじめ、つづいて全員で天真五相を行った。私たちはビルの遺灰を風の中にまき、私たちからの最後のさよならを言った。
(訳/NPO新体道・大井秀樹)
-新体道協会会報「楽天」96年12月号より転載-