南京メッセージ-陳慶氏

拝啓
先週、南京はとても暖かったでございました。今日(26日)は日差しがなくなって寒くなっていました。御苦労になりました。御帰国になりましたと存じております。
さて、南京に御滞在になっていました期間、わたくしはお撮りいたしましたご活動の御写真とわたくしの写真をお送りいたします。
わたくしは1988-91年吉林大学日本史修士課程を御学習いたしまして、1991年から江西師範大学で日本史、日中関係史、世界近現代史の教師をしております。それに、1991年から余暇を御利用いたしまして、江西服装輸入輸出会社にて日本本部の社員(三年間)を、旅行社にてガイド兼通訳(三年間)を、日本語教室にて担当者(六年間)を、江西日本語専修学院にて院長(三年間)をしておりました。日本人を知っておりますと存じております。
けれども、今回、国際会議『南京を想い起こす』を御参加いたしまして、皆様の御発表、皆様のご行動、特に皆様の御涙で、日本人をもう一度知りましたと存じております。
村川治彦様は団長として御涙が御溢れになったことが何回でございますかともうはっきり存じておりません。
棚橋一晃様の御米国式抱きが何回でございますかともうはっきり存じておりません。
小田まゆみ様は御泣訴と御泣哭が何回でございますかともうはっきり存じておりません。
それに、村木邦子様が20年間心理家の御経験を御通じになりまして、ひろい御視角から戦争を御論述くださいました。草柳和之様が心理家としてピアノで『家庭暴力のない世界』を御演奏になりまして、戦争についての御理解を御発表になりました。津村喬様が150回中国へ御いでくださいました。横井量子様、渡辺義治様が25日20時に真黒な夜の中に明妮•魏特琳(Minnie Vantrin) の御銅像を御参拝になった御泣哭が電池の少なかったわたくしのカメラに入りました。笠井綾様の御英語通訳、八木宏子様の御献花、伊東様と皆川正様等の御体操が真剣、熱心でございました。
それに、Dr.Joan.Halifaxto様と小田まゆみ様が揚子江の燕子磯記念亭(中国語でエンシキと読む)でお互いに御抱きになりまして、御泣哭くださいました。アレックス様が25日夕食の中にヨーロパにて第二次大戦の被害者としてのお父さんの悲しみを御話しくださいました時に、書道の展示会の後でもう一度御涙が御溢れになりました。
それに、御名前を存じておりません他の日本の方々、西洋の方々も真剣、熱心でございました。
わたくしは南京大虐殺、あの戦争、今の世界の戦争に御怒り致しております。人々の悲惨な命運に心が痛いでございます。命は皆平等でございます。
皆様が中国へ御いでになりましたことに誠に心から御感謝いたしました。皆様の南京での御言動に、誠に心から御感謝いたしました。行き届なかった点が多くて申しわけございまえんでした。
今度中国へ御いでくださいます時是非御知らせくださいます、皆様の御供をさせていただきます。
誠に心から御感謝いたしました。まだこの寒さが続くことと存じております。皆様が御体を御大事にくださいませ。
小田まゆみ様、Dr.Joan.Halifaxto様、アレックス様等他の御客様のE-mailがございませんので、村川治彦様がこの御写真を彼等に御E-mailくださいますと御願いたしませ。
先ずは御礼まで。
敬具

2007年11月26日
陳慶発