南京国際会議によせて-岩永夫妻メッセージ

南京会議のホームページを拝見しました。

若干34歳の私たちが言うのもなんですが、子供の頃は、まだ戦後の空気が漂っていたように思います。祖父や祖母から戦争の話を、両親からは子どもの頃のひもじかった話を、ちょくちょく耳にしました。
時代は昭和から平成へ。まだ戦後60年と少ししか経っていないのに、戦争はまるで遠い昔のことのようになりました。

田園風景の広がるネパール。水牛を使い人々は田おこしをし、親族総出で田植えを行う。そんな風景を眺めていると、なぜか凄く懐かしい気持ちになりました。アジアを旅行すると、日本人ならほとんどの人が感じるこの懐かしさ。どこからくるのでしょうか?僕自身は、田植えもしたことがないし、ましてや牛を使って畑仕事をしたことなどあるはずもない。けれども、景色が、市場のざわめきが、子どもが遊ぶ姿が、心の奥底を揺さぶります。
僕の両親かあるいは、祖父母がこんな暮らしをしていたのかな。病院に一歩はいると、結核患者が山のようにいます。そういえば、年配の先生方が、よく結核患者の話をしていたっけ。
ネパールで暮らした1年間は、まるで一昔前の日本にいるかのような気持ちになったものです。

世界中で、いろんなことが起こっています。昔話のように感じる、戦争、貧困、差別、、、、。両親、祖父母が体験した世界が、今でもまだ地球上のあちこちに起こっていています。そんなことも気づかないまま、テレビを見て笑って毎日を送るのは気持ちの悪いものです。

歴史は繰り返される。
また、日本にも戦争がおこるのでしょうか。

祖父母が体験した戦争、両親が過ごした戦後、苦しみや悲しみだけでなく、喜びや驚き、さまざまなものをしっかりと引き継いでいきたいものです。どんな場所にいっても、あるいは、これから世界がどんなふうに変わろうとも、引き継いで自分の中で練り上げていったものは、生きていく知恵となっていくと思いたいものです。

JUN

伊東先生
メッセージありがとうございました。サンフランシスコの今頃はさわやかな残暑でしょうか。お元気でいらっしゃいますか。

最近、ルワンダで1994年の虐殺を生き延びたイマキュレー・イリバギザさんの著書、『生かされて』を読みました。ちょうど戦争・紛争と自分自身をつなぐ何かを欲していた時に、書店でなんとなく手に取った本でした。帰国したとき、世界で起っている(あるいは過去に起った)戦争・紛争、そして平和構築・維持について考え、何かしらの行動をとりつづけよう、と心に誓ったのに、日本にいるとそれがどんなに難しいことか。自らきっかけを見つけるよう努力せずには、戦争は、まるで遠い世界の話、他人事のようにさえ思えてくるのです。おかしなことです。うちにテレビがないので余計にこのように感じるのかもしれませんが。
私はたまたま、アフリカで母国での紛争から逃れて難民となった人たちの支援に携ったり、母国が戦火に見舞われている間にレバノンの家族と過ごすという経験をしました。彼らの苦しみの声を聞き、それらが私の心を揺さぶり、戦争が現実のものであり身近なものでもある、ということを体で感じました。私自身が戦争を体験したわけではありません。戦争を体験した人たちに触れることによって、戦争と私自身の距離が、うんと縮まり、生涯絶対無視できないテーマとなりました。
とても親しいレバノンの家族と、彼らの祖国が戦火に見舞われている間に共に暮らしたあの日々、消化しきれないほどたくさん気づかされたことがありました。戦争がどんなに苦しいか、どんなに恐ろしいか、どんなに無力に思うことか。自分や家族や愛する人たちが平和に暮らすことができることは、果たして当たり前のことなのか、という疑問。戦時下にある国々の一般市民の心情について。平和がいかに尊いか。
平和構築・維持について考えるとき、私は市民の力を信じます。国家レベルではたいへんに困難なことでも、ひとり、またひとりと輪を広げていけば、いずれ国家を動かすほどの大きな波動となるでしょう。南京会議、素晴らしい試みです。耳を傾け、互いの心情に触れ、犠牲者を追悼し、平和について共に考える・・ まずは両国の人たちが温かい手を握り合うだけでも、相当に感じるところがあるのではないでしょうか。残念ながら参加は難しいですが、有意義な交流となり、平和の種が芽を出し成長し、どんどん広がっていくよう、心より応援しています。
レバノンの彼らは、10月の私たちの結婚披露宴出席の為に家族で日本にやってきます。長崎を案内しようと考えています。
それでは、ご多忙な毎日をお過ごしのことと存じますが、どうぞご自愛くださいませ!

Tsuyako
2007.08