-2007 年頭によせて 皆川先生の返信

ー以下は皆川正先生による伊東先生2007年年頭メッセージへの返信ですー

新年あけましておめでとうございます。
Bonne Annee!!!

新しい一歩を更におすすめの事と存じます。
新しい新春のメッセージ有難うございます。
日本の様子は如何ですか。
新春そうそう自分の姉を殺して、解体したという悲惨なニュースをみました。出来ればこのメッセージを聞かせたかったですね。でもその心の余裕がなかったのでしょうか。

新年日本のテレビで五木寛之氏と塩野七生史の対談を観ました。五木寛之氏は心を見つめる旅、インドから始め世界各地を回って生と死をみつめて心の旅を始めたところだといい、塩野女史は、最近彼女のライフワークのローマ人の手紙15巻を完了したばかり。ご覧になりましたか。
人間は、如何に生き、如何に死ぬかということを、仏教の立場と古代ローマの立場から話していました。

まず、いじめ そして自殺の急増から対談は入って行きました。五木氏は、日本では昨年3万余(数字は正確に覚えていません)の人達が自殺でなくなった。これは、アメリカ兵がベトナム戦争で亡くなった63,000人の半数にあたる。今は心の戦争の時代である。

塩野女史は家族が大切なイタリアでさえ、親殺し、子殺しが増えている。人間が弱くなった。昔からいじめはあったが、自殺迄はなかった。戦争は最大の悪であるが、唯一のメリットは、人間の欲望を単純化する。いじめは平和の代償であると断言します。

五木氏は、生きているということは、平和であるが、平和の中にも戦争がある。人生の中でどうすれば、より良く生きることができるか、より良く死ぬ事が出来るのか。
仏教の最初の原点は大冒険であったとし、80歳の仏陀が如何に死を迎えたか、知りたくてインドに旅した。
ヒンズーの人達は仏教を宗教としてでなく、自分たちの生活の一部と思っていた。生きてゆく上での知恵。インドの仏教には、戒(かい)、ゆるやかな生活目標があった。
国が成立する為には、精神的な共通の価値観が必要、それが仏教であった。

塩野女史は、仏教は寛容な宗教とし、寛容の精神にのっとったローマ史を語りました。
平和の危機と大転換の時、如何に異邦人とつきあうか、違った文化の人達とのつきあいにローマの知恵があった。
ローマは一日にしてならず。塩野女史はBC753年ローマの建国から王制、共和制そして帝政のBC30年迄、700年かかったと説明します。
帝政、ローマ人は帝国を皇帝が治めるものとは、考えていなかった、要するに覇権国とした。

ローマ人が好きなのは、自分たちで全てをやろうとはしなかったこと。勝者の寛容として、当時ギリシャやエジプトの文化そのまま残した。ローマに持って来なくてローマ人がそこに留学に行った。そして街道を整備。毎日新鮮な水を供給する水道橋の建設、それは病気の予防にもなった。
パックス ロマーナ(ローマの平和)
ローマ人の美徳の寛容、誠実そして一貫性で平和が長く続いた。橋、街道だけでなく外敵からの安全、平和、広く浅く取る税制。遺跡として残っていない文明を書きたかった、その最高が平和。町の治安は一人ではできない、個人の努力を越えている。国家がやること。それも強制ではなく共生。多種な人達が一緒に住む為のルール、ローマ法を決めた。それは、文明である。

五木氏が訪れたブータンの話。仏教を国教。国民の幸福度をモットーの国政。
塩野氏 ブータンが小さい国だからやりやすい。今迄生活水準が低く、高いのを知らないからできた。日本とかイタリアでは難しい。我々が、そういう境地に立てるのは、疲れ果てた末。
中世の扉が開く。

五木氏 今近代に対する信頼が揺らいでいる。それは、ルネッサンス以来500年の欧米の考え方が揺らいでいる。古代ローマが滅亡した後と同じ中世がはじまるのに似ている。分解して離れる多様性に進んでいる。

塩野史 古代ローマ 安全保障税 10%  封建領主 同80%。

五木氏
中世は文化の苗床
中世は放浪者がすごく増えた。群雄割拠の時代。
息抜きをつくった、それが巡礼。日本では講。流れる人達が活発。文化の苗床となった。
メメント モリ 死を想え。

塩野史
ローマは死者を隔離しない。古代ローマは死者を町の中で埋葬することはいけなかったけど、街道沿いは良かった。人はその中を歩いていた。生者と死者の共存。
五木氏 死とのリアリティー今無くなっている。
塩野史 どうやって死ぬか考えたことありますか?
五木氏 いつも考えています。
塩野史 ローマ人はもうろくするのが大嫌い。食欲が減ってくると、食事を拒否する途中で眠るように死を迎える。ソクラテスは、どうせ我々は死ぬ。神と人は不死の存在と死の存在。死ぬ迄を如何に生きるかである。
五木、塩野
良く生き、良く死ぬ。
まとまりのないメモですが、おもしろかったので。さらに考えを進めてみたいと思います。

活殺自在かな。
2008年の大会がローマに関わりのあるバースかイタリアになるのも、必然性があるかもしれません。
明日からイギリス新体道の寒稽古です。
この稽古が、感謝、祈りそしてマザーテレサ史のような愛(光)そのものになる様続けたいと思います。
サンフランシスコでお会い出来るのを楽しみにしております。
本年もどうぞよろしくお願いします。