大妙ワークショップ in デイ・ストリート

全世界の大妙ネットワークメンバーへ
こんにちは、今サンフランシスコです。
デイ・ストリートの道場で、大妙のクラスを行います。
時空を超えて、一緒に瞑想を行いませんか?
日本時間:
2月1日(火)、8日(火)、15日(火)
12:00~13:30ごろ
伊東不学

下記は、青木先生から10年前にいただいたメッセージです。
最近、本当に分かるようになってきました。
今回、みなさんとシェアさせていただきたいと思います!
『稽古で心を解放するとか、精神の自由を得させるとか言うことを通り抜けると、あくまで人間の命の営みとしての稽古がみえてきます。 それを人間の原初からの一つの大きな流れとしてとらえられるよになると、われわれの稽古は完成の領域に入って行くのでしょう。』

タイミングについて-朝と夜の内省

この記事を読む前に「タイミングと方向性の重要性」の記事を読んでください

いいタイミングで動くことは、平和を創造するうえで絶対に必要なことと考えています。Aのタイミングで動くことによって、不要な争いを避けることができます。毎日の生活でタイミングを学ぶ一番いい方法は、一日のできごとをしっかり振り返ること、そして新たな一日を見通し、準備することです。

毎日の終わりに、うまくできたことや、できなかったこと、そして学んだことを振り返ります。これは、Cのタイミングで、違うやり方でできたはずのことを内省しているのです。朝には今からの一日のことを考え、準備をします(Aのタイミングです)。自分に「何を準備しないといけないだろう」とたずねます。

Aタイミングのすばらしい例に、以前出会った、ラフティング(注:数人乗りのゴムボートで急流を下るスポーツ)のガイドたちがいます。急流をくだるとき、若いガイドのやり方は、岩にゴムボートをぶつけながら必死でパドルをこぐ、というものでした。力のいる、あちこちにぶつかるくだりかたです。一方、年上で経験豊富なガイドは同じ急流を、簡単にすべりおりていきます。力のいらない、スムーズな舵取りでした。何が違うのでしょうか。経験を積んだガイドは以前のツアーで学習し(Cタイミング)、急流の一番いいルートを学んだのです(Aタイミング)。経験を積んだガイドは、急流をボートで下るのに、ほんの少ししか力を使わず、それはとても印象的です。

朝の内省を行ったとき、一日は普通、スムーズに流れていきます。しかし、朝の内省のための早起きをなまけたときには、一日中あちこちにぶつかっていることがしばしばです。

一日の終わりに、以下のことをしっかり振り返ることをお勧めします。
・ポイントが高かったこと うまくいったことは?
・ポイントが低かったこと むずかしかったことは?
・教訓 将来のために、覚えておきたいことは?
ポイント:正直に行うこと。うまく状況を描写することができればできるほど、改善できる可能性が高くなります。同時に、自分と現在の自分の状況に対して思いやりを持ち、受け入れること。そうすれば、他人に思いやりを持つことがたやすくなります。

朝には以下のことを内省します:
・できるだけ広く、自分と世界の平和についてイメージすること
・これからはじまる一日を思い、何に出会うか考えること
・準備すべきことは何か?挑戦することはあるでしょうか?
・竹モード、または、わかめモードがで対応する準備をすること

伊東不学
翻訳責任:飯田

タイミングと方向性の重要性
-争いの変容、平和、そして武道に関連して

一般の人たちは武道について、2人以上が物理的にぶつかりあうもの、という印象を多くの場合持っていると思います。争いが時空間のなかに存在し、お互いにコンタクトをとるためにその人たちは交錯します。争いを銃を打つことに例えれば、用意する、構える、撃つ、にそれぞれ相当する段階があり、ここで「用意する」をAポイントと、「構える」をBポイント、「撃つ」をCポイントとします。Cポイントでは、すでに相手はわれわれを攻撃してきています。タイミングが武道のすべてなのですが、Cポイントはタイミングとしては遅すぎて、できることは限られています。多くの武道の専門家はCポイントの早いタイミングをとらえることができますが、それは護身のための技術ということができ、体の接触が発生します。
タイミングについて考えると、それは国際関係においても決定的に重要と言うことができます。国際社会では、多くの場合、紛争発生後に対応が行われます。これはCポイントかそのより後に該当します。世界のどこかで起きた暴力について耳にしたとき、なぜ防止できなかったのだろうと考えたことが、何度もあるのではないかと思います。反応が遅れることで、暴力的な対抗策を行うことがさけられなくなり、その暴力的な対抗策によって、最初あった問題が拡大することがしばしばあります。

武道の立ち会いにおいて、状況を支配し対抗しようとした場合、その瞬間から相手とのあいだにへだたりが生まれ、コミュニケーションができなくなります。関係は失われ、「道を見失う」ことになります。コミュニケーションを回復させるために、対抗手段を繰り返すことになりますが、その結果、相手は自衛のためにさらに強い対抗手段を出してきます。

争いに直面したとき、最初に行うべきことは破壊的で危険な結末をさけることです。そのために、実際は積極的に取り組んでいるときにも、見た目は「後退」したり「引いている」ように見える場合があります。リラックスし、対抗しようとしないことで、相手とよりよいつながりをもつことができますが、これはよくそう思われているような「コントロールする」こととは違います。接触し協同することに、熱意をもって取り組んでいるだけです。

最終的には、強い―弱い、勝ち―負け、といった二つに分ける考え方を捨て去り、相手とダイナミックな関係を選ぶことが必要になります。

争いがおこる可能性があるときに、相手を変えようとしたり、方向を変えさせようとするべきではありません。相手のものの見方を、われわれに対する敵意も含めて、尊重する必要があります。そうすることで、相手はもともと持っている目標や動機を、たとえそれが、われわれにはおかしなものに思える場合でも、追求することができます。誰かがわれわれに攻撃をしかけてきた場合、そのことによって自分の、勝つことに執着するエゴを知ることができます。最初から最後まで、相手のそばを離れず、接触を失わないことが大切です。

「後退」したり「退却」するという決断を行うには、タイミングの全体像に対する理解が必要であり、勝つことではなく、理解をのぞむ意思が必要です。勝つ必要がないと決めることによって、そうでなければ得られない選択肢が双方に与えられます。これは、タイミングについてより理解していくための第一歩であり、その決断により争いは最終的に防止されたり、昇華されることすらあります。
Cタイミング         Bタイミング         Aタイミング
争い→自己防衛→争いの防止→争いの変容→平和の創造→平和

ポイントは、平和な結末に向かって活動を続けることです。取り組んでいるプロセスを通じて、CからBのタイミングへ、そしてできればAのタイミングへ変わっていかなければなりません。お互いのやりとりには、言葉や接触によるものが含まれるかもしれませんが、いずれにせよタイミングをできるだけ早くしていくことが必要です。

相手が動きはじめているが、われわれのところまではきていない場合は、Bポイントでの取り組みを行う必要があります。たがいにぶつかるのではなく、相手にそって動きます。成功すれば、ぶつかりあうことを避け、それでも違う意見を持っている、という状態が可能になります。武道では、自分たちの位置を自然に変えて、相手が向いているのと同じ方向を向き、相手とおなじ見方で世界をみることを行います。それによって相手の世界観を学びはじめることができるのです。

毎日の生活にこの動きをおきかえると、同意できないことから一歩ひいて、質問するという形をとります。相手が言っていることを理解しているか確認し、相手が主張していることから、本当に求めていることをさぐります。われわれは、自分のからだと心で、相手のことを学び、聞く努力をする必要があります。柔軟さをたもち、自分の方針を手放す必要があります。

平和が実現するのはAポイントになります。相手が動きはじめる前に相手をとらえた場合、からだの動きは武道というより踊っているように見えます。相手の軌道を変えようとするのではなく、自分の耳や全身を使い、愛と受容を持って相手のことを聞きます。われわれと実際に、または象徴的に衝突しようとしている相手の価値観にみるべきものがあると考えたときに、力学が変わりはじめます。

これまで述べたような出会いは2分間でおこることもありますし、時間、日、週、月といった時間をかけておこっていくこともありますが、本質的な力学は同じです。

本質的な変化は、人生の多くの事と同じように、われわれの中で起こります。理想をいうことは簡単ですが、実際の生活のなかでおこなうことは、たいへんに難しいことです。自分たちや、世界の仕組みに対する、自分好みの見方をあきらめる必要があり、これはかなり不快なことです。われわれの多くにとって、こうした方法で平和を築くためには、一生かかる取り組みが必要になります。

究極的には、Aポイントで動くために、予防的に(相手なしで)平和活動をする必要があります。つまり、一日に出会うことに備えて瞑想をおこない、衝突するのではなく、つながりを持つ可能性を高めるのです。これは、われわれの小さい心が作った方針を捨て去り、かかわりを持つ人への本当の興味を持って時間をすごすことを意味します。最悪のときに、明確な、愛と同情への意思を持ち続けることなのです。

武道は、明確で現実的な例を見せることにより、助けとなります。自分の見方(スタンス、戦略など)に執着しすぎると、出会いの質は急速に低下します。一方、うまく行く場合には、ゆたかで、明るいやりとりが起こります。毎日の生活では、ものごとはそれほど明らかではありません。Cタイミングで行動し、(ほとんどの場合で)小さなことに関して他者とぶつかりあって、自分たちが作った争いを自覚しないでいるのは簡単なことです。

争いは、関係をAタイミングに近づけ、平和に向けて成長する機会になります。人生や世界におけるすべての出会いを、より深い意識や意思によって導き、平和の基礎とすることが可能です。その道のりをはじめるために足りないものがあるとすれば、それをはじめるというわれわれの決意だけなのです。

*武道の哲学的なルーツは、生死のさかいで、生き残る能力にあります。それは自分の意識(自己)に集中しており、(他者との)争いに焦点をあてていません。目的とするところは征服や勝利、敵対的な他者に打ち勝つことではなく、つながり合い、学び、相手の世界観を知ることです。究極的な目標は、成長であり、学び、より深い関係を持つことです。これは「平和」に関する定義の一つとなると思います。

2010年、伊東不学、Tomi Nagai-Rothe、Lee Seaman、協力:Elli Nagai-Rothe
翻訳責任:飯田宗一郎
著者の許可なく転載しないでください。

献花印歩行

ごく最近、著明な数学者である岡潔と、批評家の小林秀雄の対談を読みましただ。小林秀雄は岡潔に1という数字はどういう意味か、数学的な答えを期待して質問しているのですが、岡は「1」とは赤ちゃんが最初に立ちあがるときです、と答えました。脳は、神経、筋肉、バランス、重力について学び、判断しなければなりません。こうした経験が赤ちゃんは世界を理解する方法になります。つきつめていえば、1とは統合するということです。

歳をとれば、立って歩けるということが非常に重要になります。高齢者はすべて、できるかぎり自立して生活したいという願いをもっています。動けるということは、独立しているということに欠かせないのです。
高齢者に教えるにあたり、皆川正先生とリー・シーマン先生は、彼らがからだを安定させるのに、テーブルやイスにつかまらなければならない必要がある場合があることに気づきました。しかし、稽古にともないバランスや筋力は改善され、しばらくたつとテーブルやイスなしに立ったり移動することができるようになります。そして、そうできることで、非常に大きな自由と自身を感じるのです。朝にバランスのとれたよく考えられた5,6ステップの動きを行うことで、一日をいいリズムではじめることができ、動きに自信を持つことができると考えています。

立位十瞑想法の6の型より
からだのバランスがとりにくい方が献花印歩行をより簡単におこなうため、以下の変化を加えました。
1. 足をそろえて立つ(閉足立ち)をするのではなく、足を平行に開いてたつ(太極拳の立ち方)。足の幅はつま先からかかとまでの長さくらい。バランスがとれ、しっかり立てる足幅とする。
2. 最初に重心を左足に移してからはじめる。次に右足のかかとを上げる。つま先は地面につけておく(以前は右足を地面と平行にしていたが、これは不要だと思う。)
3. 右足を前にすすめる。足をすすめる最後につま先をあげ、一歩ふみだす。
ポイント:まっすぐ足をすすめるのではなく、ジグザグに全身する。右足は(少しだけ)右ななめ前方にすすめる。左足も少しだけ左ななめ前方にすすめる。

以上

あなたにとって、「平和」とは 2009

日本語をアップしました。
あなたの平和についての考えを深める一文があると思います。
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Dear Friends & Taimyo Practitioners:

Greeting from Maslives, France!

911 has come again…..

What is your plan for praying “World Peace” today?

I would like to share the responses to my question I received from some of you this time!

Hope it will help you deepen your meditation!

-Ito

質問にいただいた答えをシェアしたいと思います。
伊東

あなたにとって、平和とは?
What is peace, to you?

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「感謝」の経験をみなさんとシェアしたいと思います。

続きを読む

2009年7月 サンフランシスコ大妙ワークショップのお知らせ!

サンフランシスコから今日は!

7月20日に帰って来ました。
9月はじめまで、ベイエリアで活動します。
滞在中、六週連続で毎週月曜日の夜、市内のデイ・ストリート道場で「大妙」のメデイテーションをリードします。
よろしければ、呼応してください!
以下、今回の推薦図書です。
日本語版の題名/ダルマ・ライフ アラン・クレメンツ著 春秋社刊
英語版の題名/Instinct for Freedom, by Alan Clements New World Library
伊東不学

ダルマライフを読んで

松山です。

ダルマライフを読み終わりました。
とても大切な本と出会うことが出来ました。
ダルマライフは伊東先生の「ホワイトマジックとしての新体道」と同じ地平に立つ生き方ですね。

「どうしていいか自信がないとき私は、自分は他者との関係性を避けようとしているのか、それともそこに関与しようとしているのか、と自問する。」
「私とは、私と他者との関係のことである。」
「わたしたちはリラックスしていると同時に注意深くあって、くつろぎながら同時に行動出来なければいけない。」
「すべての確実性が揺らぎ、あらゆる言葉が役に立たず、どんな理念も疑わしく思われるとき、私たちの心を導くことができる究極の信念が一つだけある。それは成長という絶対的な方向性である。」

この本を読んでいると、仏陀自身、瞑想三昧のなかで苦しみを終わらせる道を見出し、それをひとびとに教え導くという人生がある反面、王子として自分が受け 継ぐはずだった自分の国が大国によって滅ぼされ民が虐殺されてゆくのを目の当たりにしなければならなかったという世界情勢の中で生きたひとでもあったこと を思い起こしました。仏陀はそのことに関しては何かメッセージを残しておられるのでしょうかね?

また、以前読んだ佐々井秀嶺師の伝記を思い出したりもしました。凄まじいまでの瞑想修行、己の血(業、カルマ)の暗さとの闘争、苛烈な世界情勢への全身全霊をかけた関与。人間のタイプは随分違いますがなんとはなしに共通する部分を感じました。

http://www.amazon.co.jp/破天-光文社新書-山際素男/dp/4334034772/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1249697546&sr=1-1

youtubeはすごいですね。Alan Clementsで検索するとたくさん画像が出てきます。Ken WilberとかRam DassとかThicht Nhat Hanhとか芋蔓式に出て来てびっくりしました。Alanは文章よりビデオの方が断然いいですねえ。

マサチューセッツの新体道ファームがつくった新体道ビデオ観ました。

http://www.shintaido.org/video/Shintaido_Means_New_Body_Way.mov

いいですねえ!Davidはアメリカへ帰って来ているのですか?

以上、思いつくままに。
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松山鍼灸院
http://web.me.com/sxm967/%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E9%8D%BC%E7%81%B8%E9%99%A2/Welcome.html

2009年-年頭メッセージ

明けましておめでとうございます。

昨秋、トム・ブラウン・ジュニア著の「ヴィジョン」を読む機会がありました。
感銘を受けたこの本の一部をシェアーさせてください。

本年もどうぞよろしく。

不学
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雄ジカの狩りからそれほど経っていないある日、私は静かに座って、二人の男がピックアップ・トラックから砂の道沿いにゴミを捨てているようすを眺めていた。涙が込み上げてきて、心の底から男たちのことが憎いと感じていた。もしも自分がもう少し大きかったら、思いっきり奴らを殴ってやりたいと思っていた。

グランド・ファーザーが静かに近ついてきたが、私の横に座るまで気がつかなかった。彼は、男たちとトラックを眺めながら言った。
「考え方や感情もまた同じ道をたどって、態度や行動と同じように破壊的な型にはまってしまうものだ」

そして、考え込み、それでも、怒りを静めることができない感情の型にはまった私を残して、来たときと同じように森の中へと消えた。ゴミを捨てている男たちを眺めながら、怒りをなくし、物事を違う角度から見たり理解したりするにはどうしたらよいのかと、長いこと考えていた。

怒りの頂点に達していたので、それを静めるのは大変なことだったが、それでも少しずつ怒りは治まっていった。その代わりに、彼等の無知に同情するようになった。グランドファーザーが、「怒る前に、必ずほかにできることがある」と言っていたのを何度も耳にしていたが、その意味を初めて理解することができた。男たちに対する哀れみから、私はある行動を取ったが。自分がそんなことをするとは夢にも思わなかった。

私は静かにトラックに近つくと、男たちに言った。
「ここはぼくの大好きな場所だから、どうかゴミを捨てないで下さい」
その時代、私はあまりお金を持っていなかったが、ポケットには25セント玉が入っていた。
「ガソリン代を払いますから、無料のゴミ捨て場までゴミを持っていって下さい。必要なら、ぼくもいっしょに手伝います」

男たちは私の言葉やその真剣さのとても驚いて、ショックをうけていた。おそらく、彼らは小さな子どもが突然現れたことにも驚いていたが、そのお願いの内容にもショックを受けたのではないかと思う。

男たちはすぐにゴミを集め出し、すまなかったと心から何度も言った。そして、数キロ先のゴミ捨て場まで持ってゆくことを約束してくれた。私もゴミの回収を手伝って、少し先の道にも同じように投棄されたゴミがあるのだと説明した。間髪を入れず、男たちはゴミの場所を聞いたので、そこまで案内した。それは、男たちが捨てようとしていたゴミよりも遥かに大きなゴミの山だった。彼らのもとを去ると、男たちは自分たちのトラックにそのゴミを積み始めた。木の枝に引っかかっていた紙切れまで回収していた。

グランドファーザーはこのあいだずっと私のことを観察していた。私が座っていた場所に戻ると、彼も横に座って言った。
「怒りはこの問題を解決しなかったであろう。同情し教えてやることが唯一の答えなのだ。もし、おまえが心に怒りを感じたままだったら、男たちは何も学ぶことはなかった。しかし。違う方法を模索し、どうすればよいか自分自身で考えついたのだ。憐れみによって生まれたおまえの考え方や感情は、いま、成長への道を歩き出した。なぜなら、おまえはこれまでの道から外れ、新しい道を考え、見つけ出したからだ」

トラックの男たちの教えは、今日まで私の教訓となっている。そんな昔、すでにあのようなことがあったのだ。だとしたら、地球破壊の第一の原因は無知によるものだということがわかる。人々を再教育し、その足を大地の上に戻すことが、地球を救う唯一の道なのである。

国際会議レポート・メッセージ

南京記憶国際学術会議南京大屠殺70周年記念ノート part 1-皆川正
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南京国際会議レポート-棚橋先生
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南京会議に寄せられた津村喬氏の論説
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南京国際会議によせたメッセージです。
- Peterより
- ジョアン老師より
*ジョアン老師(尼)はウパヤ禅センター(サンタフェ)に所属されており、今回の    会議に参加されました。
- 陳敬氏より(日本語)
- Heinz-Jurgen Metzger
-岩永夫妻メッセージ

 

2007.11.tanahashi

南京国際会議 伊東不学メッセージ

2007年11月21日から25日まで南京市、南京師範大学にて
国際会議「南京を想い起こす」が開催されました。

会議の前後にとどけられた、
伊東不学によるメッセージです。

-大妙考
永い間、「戦場での指揮官」の姿をイメージして大妙の第一部を稽古してきましたが、南京へ出かける前に、新しいシナリオが出来ました。 <全文へ>

-パズルが解けた話し
プロローグ
2002 年の5月以来、呉式の馬長勲老師に師事して太極拳の修業をしている。 <全文へ>

このイベントについて詳しくは下記サイトをご覧ください。
国際会議「南京を想い起こす」