第11回目の新体道国際大会を終えて

大妙ネットワークの皆さんへ

サンフランシスコにいます。火曜日の夕方に2回目の大妙クラスを終了し、今回のセッションは残り3回です。みなさんが、それぞれの地で大妙を楽しまれていることをねがっています!

お聞きになっていると思いますが、第11回の新体道国際大会がフランスのランスで2016年の7月半ばに行われ、成功のうちに終了しました。

過去6か月のあいだ、新体道の審査委員会(TNEC)の進行役を担いましたが、その間、次のような異なる文化の比較*が頭に浮かびました。

*1975年に米国に移動して以来、数年間のあいだ文化の比較に没頭しました。その間に、西洋と東洋は非常に異なる強みと弱みを持っていることを理解しました。西洋的な二元論(自己とそれ以外は分離しているという考え方)を採用する人々は、特定の分野で専門性を獲得することが比較的容易です。その専門分野のなかでは非常によく能力を発揮しますが、他の専門の人の意見を受け入れないことがあり、容易に意見の不一致や論争に至ります。東洋の考え方では、文化的に異なる考えを受け入れることが推奨され、不一致は少なくなりますが、明確さは犠牲にされ、あいまいさがより大きくなります。

この2つの考え方が、米国の理事会+米国技術諮問委員会(米国TC)と、欧州技術委員会(ETC)が議論する際に反映されていたように私には思えます。誤解を恐れず言えば、同様のことはISC委員会とTNECのあいだの議論にも反映していたのではないでしょうか。

結局のところ、これらの違いはそれぞれの新体道に対する2つの考え方を反映しています。

・一つ目は、新体道=青木先生の世界であり、どこまでも青木先生を追い続けるべきである(少なくも、青木先生がこの世を去られるまでは)、というものであり、ISCもその考えをベースに形作られるべきである、というものです。

・もう一つは、新体道は青木先生と楽天会のメンバーによって、1960年代から70年代に、大基本の方が本質を伝えるように作られており、稽古をする者は青木先生に敬意を払うべきだが、青木先生から独立できるものであり、またそうあるべきものである。ISCはこのフィロソフィーのもとに形作られるべきである、というものです。

日本人は「しょうがない」、フランス人は「ジュセパ(Je ne sai pas!)」とお互いに言って、相手のことをあきらめ、別々の道を行くべきでしょうか?

いいえ、そうは思いません。

お互いにあえて相手に反論して議論を深めつつも、一定の合意に達することができることを私は本当にのぞんでいます。そうすることで、次の10年間へのクリアな目標を掲げることができるでしょう。

そうしたことを考えながら、合宿で、新体道を社会に生かすという大目的について語る際に以下の稲森和夫氏の言葉を使うことを、呼びかけました。

==

「世のため、人のため!」

われわれ人間は、世界のために役立つものでなければならない、というのが私の考えです。なぜなら、日々、地球が何千年にもわたり与えてくれたものに恩恵を受けているのですから。「世のため、人のために尽くす」ことが人間として最高の行為です。ビジネスで成功する過程でも、世のため、人のためということが、考えの基礎でなければなりません。これが私の人生の目的です。このように生きることが、私の信念であり、使命であり、人々への私のメッセージなのです。

==

上記の引用は、大妙ネットワークの大目的にもぴったり一致するものではないでしょうか?

伊東不学

2016/8/7

翻訳文責:飯田

英語の原文はhttp://taimyo-e.net/ で「An inside story」として掲載されています。

コメント投稿は締め切りました。