欧州新体道の10周年記念大会合宿

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欧州新体道の10周年記念大会合宿で一緒に稽古した人たちへ

皆様、お疲れさまでした。 光陰、矢のごとし! アッと言う間に2週間経ってしまいましたね!

今回、大会前の上級指導者講習会での実技指導と、本大会の最初の合同稽古の号令を担当させていただいたことはとっても光栄でした。 閉会式では、たくさんの感謝の言葉、賞賛の言葉を頂き大変恐縮しています。

でも、本当に感謝の言葉と、賞賛の言葉を受けるべきだったのはこのイヴェントのオーガナイザーと大会中にそれぞれの立場でそれぞれの役を万遍なく熟してくださった裏方の人たち、そしてフォラム形式の合宿を考案したESCのスタッフ、10年前にコヤ・ラ・フォレに集まって夢を見始めたグループでした! このことに関しては、指導者講習会、本大会を通じてワタシをアシストしてくださり、最後の合同稽古をリードしてくださった皆川先生に対しても同じ思いを持っています。

天台宗を起こした最澄さんの教えに以下のような言葉があります。
国宝とは何物ぞ
宝とは道心(どうしん)なり
道心ある人を
名づけて国宝と為す
故に古人(こじん)の言わく
径寸十枚(けいすんじゅうまい)
是(こ)れ国宝に非(あら)ず
一隅(いちぐう)を照らす
此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと
新 体道ムーブメントで言えば、一日の仕事が終わった後で、自分自身の自由時間を割いて新体道のクラスを自分の住んでいる街で開催して、新体道を通じて身の回 りの人たちに「明るい身体」と「強いこころ」の造り方を指導し続けて送りいるインストタクターと彼・彼女のアシシタントの人たちこそ「ワレワレの宝」で す!

最後に昭和の始めに活躍した童話作家/宮沢賢治が遺した詩・雨にも負けずの一節を紹介させてください! (ちょっと長くなりますが、勘弁! 勘弁!)

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

不学

Greeting-evening session in 2014 winter

Dear Friends,

Greetings!

『いい人が先に逝く!』

When Japanese people speak about a person who has passed away, they say “Ii hito ga saki ni yuku!” (“The good ones go first!”)
Last year we lost 2 good friends who used to be very active in the Shintaido movement in the US & Europe:

• Christophe Bernard who actively practiced with us on the west coast of the US passed away in August.
(for more information about him, please check the SOA newsletter from last Fall at:http://www.shintaido.org/docs/bin/BD33_Sep2013.pdf)

• Caroline Raievsky, who was the coordinator of the European Shintaido College in the 2000s, passed away last month.
(Those who were at the Shintaido International in Italy in the summer of 2004 will remember her well; she was at the registration desk when you checked in.)

I am in France now. On Wednesday I fly back to SF, and I’ll stay in the Bay area for 3 weeks.
While I am there, I’ll lead 3 classes* of Taimyo meditation at the Day Street Dojo in SF.
At every class, I would like to start with the Tenshingoso Ritual, wishing Bon Voyage for Christophe & Caroline.

Please come to practice with me there, or join me by going beyond time & space!

-Ito

* a Winter series of 3 Tuesday evening class on January 21, 28 & February 4

鬆・柔、虚・空、円・満

鬆・柔、虚・空、円・満

この六文字は太極拳練習の習得目標で心身の状態作りを表したものである。

稽古を積むと、心身の状態は、鬆(リラックス)、柔(やわらか)を経て、虚・空(外からの刺激に対して内部から自然に反応する)、円・満(気がおのずと充満する)と発達する。

鬆(ソン)は放鬆(ファンソン)でリラックスすること、弛めることである。

柔(ロウ)は文字通り柔らかい動きや状態のことで、同系統の文字に軟(ルァン)・軽(チン)や静(ジン)などもある。

これら鬆柔あるいは軟・軽・静を意識し、站椿・套路・推手など全ての練習時に常に心がけ心身の状態を整えていく。

鬆•柔などの感覚とからだ作りが深まっていくにしたがって、からだの内側が虚 (シーや空(コン)の状態になってくるといわれている。

無為にして自然、作為もなく軽やかに外部からの攻撃や刺激(いわば実)に対してからだの内部からの自然の反応が始まってくる。

緩んだからだは皮膚をはじめ身体そのものが敏感なセンサーのようになって瞬時に判断し、自然な対応反応が出てくるのである。

太極拳に関連した古典は易経や医書などで、武術と医術の区別は本来ない。内丹(瞑想)の理想は嬰児の生命力の状態に帰るところにあるが、武術の理想も同じである。つまり中国武術における霊性とは、人間が本来そなえている生きる力である。

宮本知次著「中国武術の身体・気・霊性 – 伝統呉式太極拳・馬長勲の世界」より抜粋

大我-宇宙の旅

大我-宇宙の旅
伊東不学

最近、世界中で稽古することを、自分がどれほど楽しんでいるかについて、考えていました。みなさん一人ひとりから、とても多くのことを学んでいます!
今年は飛行機での移動をすこし減らしましたが、次の三つのことに助けられ、大宇宙を自由に旅しています。
(1)すわって片手で行う天真五相(折りたたみ椅子を使います)
(2)ほしぞら体操
(3)母が数年前、脳卒中でたおれる少しまえに書いた詩

四つの基本的状態である、自我、無我、真我、大我については、知っている方が多いとおもいます。このなかで大我について、多くのことを椅子にすわって片手で行う天真五相、ほしぞら体操、母の詩からまなびました。

椅子にすわっての片手での天真五相はとてもゆっくりと、もう一方の手もからだのそばでしっかり意識して、おこないます。ゆっくり、注意して、両方の側を交代でおこなうように気をつけています。椅子が重力を受けとめてくれるので、ほとんど力をいれずに動くことができます。手やからだが動いて(sweep)いくにつれて、すべての細胞が、まわりの細胞とのただしい位置におさまっていきます。そうなるには時間がかかりますから、急がないことが大切です。太極拳で学んだ、ゆっくり動くこと、十分に動くこと、そしてリラックスすることを意識して行っています。正確にできたときには、気のエネルギーが全身をめぐるのを感じることができます。下にある大地、上にある空、そしてまわりの人たちとつながります。目標がさだまり、生まれ変わり、あるべき場所に帰ったと感じます。

ほしぞら体操では、夜外にでて、空に、星々にむかってのびあがります。その時、ひとつひとつの星が上方に、自我の外、よりひろい宇宙へと引きあげてくれているように感じます。ときに、もどってくるのが難しいことがありますが、まだやるべきこと、完成していないことがありますから、もちろん、ここにもどってきます。終わったときにはいつも、前よりリラックスして、平和と、つながりを感じます。

母の詩についてですが、日本では「辞世の句」を書くという習慣があります。人生最後の詩と訳されることがありますが、人生の要約、というほうが正確だと思います。母は大我について洞察していたと、確信しています。母が数年前、とても重い脳卒中になったことはご存知の方が多いと思います。母のからだはまだこの世に、日本の病院にありますが、大我はすでに旅をしていると考えています。
母の句は次のようなものです。

死して後、始まる宇宙の旅路かな!

みなさんが、稽古で同じような理解を手にされることを祈っています。

付記:いつものように、英語での表現を助けてくれたトミ・ナガイ・ローテとリー・シーマンに感謝します。
訳注:原文は英語で作成され、http://www.taimyo-e.net/ に掲載されています(タイトル「DAIGA:Traveling the Universe」)。
翻訳についての責任は飯田にあります。

2012.7ワークショップ:瞑想のヒント

先週初回のクラスを行いました。運営してくれているコニーとマイクに感謝します!

初回の稽古で下記のテキストを使いました。次回以降の参考にしてください。

瞑想のヒント

- 自我 無我 真我 大我

- 天/大宇宙 = はかりしれない

- 暗黒エネルギーと暗黒物質
宇宙のおよそ70%は暗黒エネルギー、25%は暗黒物質で構成されていることが明らかになっている。残りの物質、つまり地球に存在するもの、そして、人類が今まで観察したすべての物質=通常の物質は、宇宙の5%未満を占めるにすぎない。

http://science.nasa.gov/astrophysics/focus-areas/what-is-dark-energy/

- パスカルの言葉
この無限の空間の永遠の沈黙が、私を震撼させる。

http://www.linternaute.com/citation/3415/2/le-silence-eternel-de-ces-espaces-infinis-m-effraie—–waiting-in-vain/

Happy Holidays ! -2011.12

クリスマスとお正月のお祝いを一言に纏めたアメリカ流の挨拶ですが、皆さんお元気ですか?
(年賀状が正月前に届いてもいいし、クリスマスの後でカードが届いてもいいので大変重宝しています。)

大変な年でしたネ、2011年は!?!?!?
来年は辰年!  どんな展開/転回/天海になるんでしょうかネエ、、、、。

2012年は、世界のシンタイドーイストにとっては、第10回目の国際大会の年でもあります。

主催/アメリカ新体道、協賛/国際新体道カレッジ、場所/カリフォルニア州ソノマ州立大学   期間/7月3~6日
詳細は以下のサイトで: http://2012.shintaido.org/ja/

大会のテーマ『水のように』を考えていて、秀吉の軍師だった黒田官兵衛が書き残したと伝えられている『水七則』を思い出しました。

<水七則>

・自ら活動して他を動かしむるは水なり。
・常に己の進路を求めて止まざるは水なり。
・障碍に遇い激しくその勢力を百倍し得るは水なり。
・自ら浄らかにして他の汚れを洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり。
・洋々として大洋を充たし、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ、霞と化し、凝っては玲瓏なる鏡となり、而もその性を失わざるは水なり。
・暑さには涼を、渇するものには蘇生を、乾けるものにはうるおいを、すべての生物に生命力を与えるものは、水なり。
・常に平らかにして低きにつき、よく方円の器に従うと雖も、ひとたび怒る時は怒涛狂潤となりて、なにものをも許さざるは、水なり。

年末年始での瞑想の糧にして頂けるのではないかと思い、紹介/照会させて頂きました。

不学

伊東’s メッセージ 2011.7

D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
(我々はどこから来たのか、我々は何ものなのか、我々はどこに向かうのか)

21世紀初頭に起こった二つの事件は、われわれの世界に対する見方を根本から変えてしまった。

(1) 9.11の事件は、世界に安全な場所はどこにもないこと、政府は我々を守ることなどできないことを見せつけた。事件後もオサマ・ビン・ラデディンは10年以上も活動をつづけた。米国はそれを止めるために何十億ドルも支出しておきながら、その過程で、うかつにもより多くのテロリストを作りだしてしまったにすぎない。

(2) 巨大な地震と津波は、大自然の災害対して我々は全く無力であること、科学技術は我々を守ることなどできないことを見せつけた。地震と津波に対し、世界最高の備えを行っていた日本でさえ、壊滅させられてしまった。日本では今、より一層多くの人々が原子力エネルギーに反対し始めている。

また、現在人類の営為が地球環境に与えている主に三つの影響とそれによるかつてなかった変化が明らかになりつつある。
(1) 人類の活動により気候変動が大きくなりつつある。
(2) 古いエネルギー源は価格が上昇しつつあるか、終わりを迎えつつあり、新たなエネルギー源は、いままでのものほど便利でも、安価でもない。
(3) 淡水はますます不足しつつある。

これらの出来事は、人々の自らの生き方と世界にたいする考え方に、根本的な影響を与えている。長いあいだ、「真面目にやっていれば生活はますます良くなってゆくものだ!」と考えられてきた。しかし、「ますます良くなる」とは「より多くの物とサービスを得ること」という意味ではなかったか。

今、我々はターニングポイントを迎えている。これまでと同じようにやり続けるのか、それとも違う道を選ぶのか?現代文明の意味とは何か?次の10年間、どのような生活を設計したらよいのか?われわれ自身の生活だけでなく、数世代後の我々の子孫がおかれるで有ろう状況を慮りながら、現時点での最良の行動を選択することを迫られている。一体何が一番いい行動なのか?

8月のワークショップでは、新体道で開発されたからだの叡智を通して、これらの問題にアプローチしていきます。ポール・ゴーギャンの傑作 “D’où venons nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?“ (我々はどこから来たのか、我々は何ものなのか、我々はどこに向かうのか)にみられるこの”問い”を深く探索しながら。

準備として以下を考えてください
・ポスト・ピークエナジー世界(電気エネルギーのピークを過ぎた世界)において、われわれはどんなふうに、稽古を続けていったらよいのか(生活の簡素化)?
・高齢化社会にどう対処していったらよいのか(恐れずに死を迎える道)?
・続く次の世代をどう育成していったらよいのか(「よき生活/生き方」とは何かを考えるうえでの今までと違う新らたな視点)?

最後に雑多な思いを打ち分けたワタシの意を汲んで、英語でこのメッセージを編集してくださった、リー・シーマンとトミ・ナガイ・ローテに感謝します。
また、英語の本文を反芻して平明な日本語のメッセージに翻訳してくださった飯田宗一郎と松山晋一の両兄にもとっても感謝しています!

伊東不学

タイミングについて-朝と夜の内省

この記事を読む前に「タイミングと方向性の重要性」の記事を読んでください

いいタイミングで動くことは、平和を創造するうえで絶対に必要なことと考えています。Aのタイミングで動くことによって、不要な争いを避けることができます。毎日の生活でタイミングを学ぶ一番いい方法は、一日のできごとをしっかり振り返ること、そして新たな一日を見通し、準備することです。

毎日の終わりに、うまくできたことや、できなかったこと、そして学んだことを振り返ります。これは、Cのタイミングで、違うやり方でできたはずのことを内省しているのです。朝には今からの一日のことを考え、準備をします(Aのタイミングです)。自分に「何を準備しないといけないだろう」とたずねます。

Aタイミングのすばらしい例に、以前出会った、ラフティング(注:数人乗りのゴムボートで急流を下るスポーツ)のガイドたちがいます。急流をくだるとき、若いガイドのやり方は、岩にゴムボートをぶつけながら必死でパドルをこぐ、というものでした。力のいる、あちこちにぶつかるくだりかたです。一方、年上で経験豊富なガイドは同じ急流を、簡単にすべりおりていきます。力のいらない、スムーズな舵取りでした。何が違うのでしょうか。経験を積んだガイドは以前のツアーで学習し(Cタイミング)、急流の一番いいルートを学んだのです(Aタイミング)。経験を積んだガイドは、急流をボートで下るのに、ほんの少ししか力を使わず、それはとても印象的です。

朝の内省を行ったとき、一日は普通、スムーズに流れていきます。しかし、朝の内省のための早起きをなまけたときには、一日中あちこちにぶつかっていることがしばしばです。

一日の終わりに、以下のことをしっかり振り返ることをお勧めします。
・ポイントが高かったこと うまくいったことは?
・ポイントが低かったこと むずかしかったことは?
・教訓 将来のために、覚えておきたいことは?
ポイント:正直に行うこと。うまく状況を描写することができればできるほど、改善できる可能性が高くなります。同時に、自分と現在の自分の状況に対して思いやりを持ち、受け入れること。そうすれば、他人に思いやりを持つことがたやすくなります。

朝には以下のことを内省します:
・できるだけ広く、自分と世界の平和についてイメージすること
・これからはじまる一日を思い、何に出会うか考えること
・準備すべきことは何か?挑戦することはあるでしょうか?
・竹モード、または、わかめモードがで対応する準備をすること

伊東不学
翻訳責任:飯田

タイミングと方向性の重要性
-争いの変容、平和、そして武道に関連して

一般の人たちは武道について、2人以上が物理的にぶつかりあうもの、という印象を多くの場合持っていると思います。争いが時空間のなかに存在し、お互いにコンタクトをとるためにその人たちは交錯します。争いを銃を打つことに例えれば、用意する、構える、撃つ、にそれぞれ相当する段階があり、ここで「用意する」をAポイントと、「構える」をBポイント、「撃つ」をCポイントとします。Cポイントでは、すでに相手はわれわれを攻撃してきています。タイミングが武道のすべてなのですが、Cポイントはタイミングとしては遅すぎて、できることは限られています。多くの武道の専門家はCポイントの早いタイミングをとらえることができますが、それは護身のための技術ということができ、体の接触が発生します。
タイミングについて考えると、それは国際関係においても決定的に重要と言うことができます。国際社会では、多くの場合、紛争発生後に対応が行われます。これはCポイントかそのより後に該当します。世界のどこかで起きた暴力について耳にしたとき、なぜ防止できなかったのだろうと考えたことが、何度もあるのではないかと思います。反応が遅れることで、暴力的な対抗策を行うことがさけられなくなり、その暴力的な対抗策によって、最初あった問題が拡大することがしばしばあります。

武道の立ち会いにおいて、状況を支配し対抗しようとした場合、その瞬間から相手とのあいだにへだたりが生まれ、コミュニケーションができなくなります。関係は失われ、「道を見失う」ことになります。コミュニケーションを回復させるために、対抗手段を繰り返すことになりますが、その結果、相手は自衛のためにさらに強い対抗手段を出してきます。

争いに直面したとき、最初に行うべきことは破壊的で危険な結末をさけることです。そのために、実際は積極的に取り組んでいるときにも、見た目は「後退」したり「引いている」ように見える場合があります。リラックスし、対抗しようとしないことで、相手とよりよいつながりをもつことができますが、これはよくそう思われているような「コントロールする」こととは違います。接触し協同することに、熱意をもって取り組んでいるだけです。

最終的には、強い―弱い、勝ち―負け、といった二つに分ける考え方を捨て去り、相手とダイナミックな関係を選ぶことが必要になります。

争いがおこる可能性があるときに、相手を変えようとしたり、方向を変えさせようとするべきではありません。相手のものの見方を、われわれに対する敵意も含めて、尊重する必要があります。そうすることで、相手はもともと持っている目標や動機を、たとえそれが、われわれにはおかしなものに思える場合でも、追求することができます。誰かがわれわれに攻撃をしかけてきた場合、そのことによって自分の、勝つことに執着するエゴを知ることができます。最初から最後まで、相手のそばを離れず、接触を失わないことが大切です。

「後退」したり「退却」するという決断を行うには、タイミングの全体像に対する理解が必要であり、勝つことではなく、理解をのぞむ意思が必要です。勝つ必要がないと決めることによって、そうでなければ得られない選択肢が双方に与えられます。これは、タイミングについてより理解していくための第一歩であり、その決断により争いは最終的に防止されたり、昇華されることすらあります。
Cタイミング         Bタイミング         Aタイミング
争い→自己防衛→争いの防止→争いの変容→平和の創造→平和

ポイントは、平和な結末に向かって活動を続けることです。取り組んでいるプロセスを通じて、CからBのタイミングへ、そしてできればAのタイミングへ変わっていかなければなりません。お互いのやりとりには、言葉や接触によるものが含まれるかもしれませんが、いずれにせよタイミングをできるだけ早くしていくことが必要です。

相手が動きはじめているが、われわれのところまではきていない場合は、Bポイントでの取り組みを行う必要があります。たがいにぶつかるのではなく、相手にそって動きます。成功すれば、ぶつかりあうことを避け、それでも違う意見を持っている、という状態が可能になります。武道では、自分たちの位置を自然に変えて、相手が向いているのと同じ方向を向き、相手とおなじ見方で世界をみることを行います。それによって相手の世界観を学びはじめることができるのです。

毎日の生活にこの動きをおきかえると、同意できないことから一歩ひいて、質問するという形をとります。相手が言っていることを理解しているか確認し、相手が主張していることから、本当に求めていることをさぐります。われわれは、自分のからだと心で、相手のことを学び、聞く努力をする必要があります。柔軟さをたもち、自分の方針を手放す必要があります。

平和が実現するのはAポイントになります。相手が動きはじめる前に相手をとらえた場合、からだの動きは武道というより踊っているように見えます。相手の軌道を変えようとするのではなく、自分の耳や全身を使い、愛と受容を持って相手のことを聞きます。われわれと実際に、または象徴的に衝突しようとしている相手の価値観にみるべきものがあると考えたときに、力学が変わりはじめます。

これまで述べたような出会いは2分間でおこることもありますし、時間、日、週、月といった時間をかけておこっていくこともありますが、本質的な力学は同じです。

本質的な変化は、人生の多くの事と同じように、われわれの中で起こります。理想をいうことは簡単ですが、実際の生活のなかでおこなうことは、たいへんに難しいことです。自分たちや、世界の仕組みに対する、自分好みの見方をあきらめる必要があり、これはかなり不快なことです。われわれの多くにとって、こうした方法で平和を築くためには、一生かかる取り組みが必要になります。

究極的には、Aポイントで動くために、予防的に(相手なしで)平和活動をする必要があります。つまり、一日に出会うことに備えて瞑想をおこない、衝突するのではなく、つながりを持つ可能性を高めるのです。これは、われわれの小さい心が作った方針を捨て去り、かかわりを持つ人への本当の興味を持って時間をすごすことを意味します。最悪のときに、明確な、愛と同情への意思を持ち続けることなのです。

武道は、明確で現実的な例を見せることにより、助けとなります。自分の見方(スタンス、戦略など)に執着しすぎると、出会いの質は急速に低下します。一方、うまく行く場合には、ゆたかで、明るいやりとりが起こります。毎日の生活では、ものごとはそれほど明らかではありません。Cタイミングで行動し、(ほとんどの場合で)小さなことに関して他者とぶつかりあって、自分たちが作った争いを自覚しないでいるのは簡単なことです。

争いは、関係をAタイミングに近づけ、平和に向けて成長する機会になります。人生や世界におけるすべての出会いを、より深い意識や意思によって導き、平和の基礎とすることが可能です。その道のりをはじめるために足りないものがあるとすれば、それをはじめるというわれわれの決意だけなのです。

*武道の哲学的なルーツは、生死のさかいで、生き残る能力にあります。それは自分の意識(自己)に集中しており、(他者との)争いに焦点をあてていません。目的とするところは征服や勝利、敵対的な他者に打ち勝つことではなく、つながり合い、学び、相手の世界観を知ることです。究極的な目標は、成長であり、学び、より深い関係を持つことです。これは「平和」に関する定義の一つとなると思います。

2010年、伊東不学、Tomi Nagai-Rothe、Lee Seaman、協力:Elli Nagai-Rothe
翻訳責任:飯田宗一郎
著者の許可なく転載しないでください。

献花印歩行

ごく最近、著明な数学者である岡潔と、批評家の小林秀雄の対談を読みましただ。小林秀雄は岡潔に1という数字はどういう意味か、数学的な答えを期待して質問しているのですが、岡は「1」とは赤ちゃんが最初に立ちあがるときです、と答えました。脳は、神経、筋肉、バランス、重力について学び、判断しなければなりません。こうした経験が赤ちゃんは世界を理解する方法になります。つきつめていえば、1とは統合するということです。

歳をとれば、立って歩けるということが非常に重要になります。高齢者はすべて、できるかぎり自立して生活したいという願いをもっています。動けるということは、独立しているということに欠かせないのです。
高齢者に教えるにあたり、皆川正先生とリー・シーマン先生は、彼らがからだを安定させるのに、テーブルやイスにつかまらなければならない必要がある場合があることに気づきました。しかし、稽古にともないバランスや筋力は改善され、しばらくたつとテーブルやイスなしに立ったり移動することができるようになります。そして、そうできることで、非常に大きな自由と自身を感じるのです。朝にバランスのとれたよく考えられた5,6ステップの動きを行うことで、一日をいいリズムではじめることができ、動きに自信を持つことができると考えています。

立位十瞑想法の6の型より
からだのバランスがとりにくい方が献花印歩行をより簡単におこなうため、以下の変化を加えました。
1. 足をそろえて立つ(閉足立ち)をするのではなく、足を平行に開いてたつ(太極拳の立ち方)。足の幅はつま先からかかとまでの長さくらい。バランスがとれ、しっかり立てる足幅とする。
2. 最初に重心を左足に移してからはじめる。次に右足のかかとを上げる。つま先は地面につけておく(以前は右足を地面と平行にしていたが、これは不要だと思う。)
3. 右足を前にすすめる。足をすすめる最後につま先をあげ、一歩ふみだす。
ポイント:まっすぐ足をすすめるのではなく、ジグザグに全身する。右足は(少しだけ)右ななめ前方にすすめる。左足も少しだけ左ななめ前方にすすめる。

以上